仮装とコスプレは何が違うのか?この問題は一般の人でも疑問に思うことでしょう。その上、私のような法律の実務家は、法律的観点(特に江差追分最判の観点)からも区別が必要であるかも気になってしまうところです。良い機会なので少し考察してみました。
1.コスプレにあって仮装にないもの
下記に引用する動画は、コスプレイベントに仮装をして来てしまった男の子を主題としたコメディです。
着目すべきは、この「勘違い」がコメディとして成立するには、「コスプレと仮装は違う」という共通認識を前提とするものだということです。たとえ両者の違いを言語化することはできなくても、通常人の潜在意識ではその違いは共有されており、そうでなければ、その場違い感から笑いが生まれないのです。
さらに、この動画の秀逸な点は、仮装をしてきてしまった男の子が「コスプレだってことにしてしまう」ことを画策していくくだりです。つまり、コスプレにあって仮装にないものを後から追加することによって、言わば「仮装のコスプレ化」を試みるのです。
コスプレにあって仮装にないもの、それはコスプレと仮装の違いを検討する上で欠くことのできない要素です。その意味では、下記動画は、仮装とコスプレの違いを理解するための非常に解りやすい教材を与えています。両者の違いに疑問を持つ人は、まずは下記動画を視聴するのがよいでしょう。
[フェンシングマン Peeping Life Library #04 by Anime Bancho from offical YouTube]
ここで、辞書的な仮装とコスプレの違いについて確認しておきます。
広辞苑第5版によれば、仮装とは「仮の扮装」と記載されています。また、他辞書にも「仮の装い」など非常にシンプルに規定されています。
一方、コスプレは新しい言葉なので辞書における規定にはばらつきがありますが、コスプレとは「アニメやゲームなどのキャラクターに扮装すること」だとまとめてしまうことができるでしょう。
辞書的な定義に従って考えると、仮装とコスプレの違いは、「アニメやゲームなどのキャラクター(いわゆる元ネタ)」の有無であり、この違いを理解するだけでも、上記動画に仕組まれたコミカルさを十分に理解することが可能です。
つまり、単にフェンシングに憧れてフェンシングの格好をする行為は、元ネタの存在を欠いているので「仮装」でしかないのです。そして、男の子が試みた「仮装のコスプレ化」とは、元ネタの後付けであり、いかにも無理筋のアイデアを押し通そうするのが滑稽さ生み出しています。
この動画の作者は、仮装とコスプレの違いを理解した上で、これをコメディとして表現し、その上で、後付けの元ネタである「フェンシングマン」をタイトルにしているのでしょうから、まったく憎い演出というところでしょう。
コスプレは元ネタの存在を前提とするが故に、パクリ(法律用語では翻案)の問題を誘発する虞を内包すると言えそうです。
2.メイドコスはコスプレなのか?
メイドコスとは、メイドのコスプレの省略なのだし、本人たちもコスプレだと思っているからこそ、そのように呼んでいるのでしょう。だとしたら、メイドコスはコスプレだと認めてしまうのも一つの解決法ではあろうかと思います。しかしながら、ここで問題としたいのはそのような疑問ではありません。
上記したように、単にフェンシングの格好をする行為が元ネタの存在を欠いているが故に「仮装」であるとするならば、単にメイドの格好をする行為も元ネタの存在を欠くものであり、同様に「仮装」となるのではないか?という疑問も存在するだろうということです。
この問題を検討する上で、重要な指摘となるのは、「メイドコスはメイドの格好をするものではない」ということです。
簡単に言ってしまえば、もしコスプレイベントに下記画像Aのような恰好をしていった場合、上記フェンシングマンと同様に場違い感があるはずです(「シャーロックホームズに登場するハドスン夫人のコスプレですか?」みたいな)。そもそも、画像Aの服装もヴィクトリア朝時代の普段着に過ぎなかったのではないでしょうか。一方、実際の「メイドコス」というのは、下記画像Bのような服を着用するのものをいうのでしょう。
画像A (Chocolate Girl by Jean-Étienne Liotard from Wikimedia Commons) | 画像B (French maid’s outfit in Toronto Comicon 2015 from Wikimedia Commons) |
メイドコスが、単にメイドの格好をするのではないことは、画像Aと画像Bの比較から明らかだと思います。だとすれば、メイドコスとはいったい何なのか?が次に検討すべき問題となるでしょう。
この問題に対しては結論を先に述べてしまうと、メイドコスは「メイド萌え」の創作的表現を利用する行為になっていると言えるかもしれません。
「メイド萌え」の成立に関して述べるのは、筆者の手に余るのですが、これには既に体系的研究が存在しています(例えばこちら)。これによると「メイド萌え」の表現としての確立に寄与した作品も、その創作者も明確であり、メイドの「概念化」そして「服飾化」への道筋も判明しているようです。
つまり、メイドコスとは、これら作品によって服飾化したメイド衣装を着ているのであり、結局のところ、メイド萌え表現の確立に寄与した作品に登場するキャラクターに扮装する行為(またはその二次創作)といえるのです。その意味では、「メイドコス」は、「仮装」ではなく「コスプレ」と呼ばれるに相応しい行為といえるのかもしれません。
3.サンタコスはコスプレなのか?
そもそも「サンタコス」とは何なのでしょうか?不思議なことに、サンタコスには性差があるように思えます。つまり、「サンタコス」と言ったら女性に限定されているというか、男性がサンタの格好をすると「コスプレ」にならないように思えるのです。例えば、下記画像Cは「サンタコス」であるにも拘らず、下記画像Dは「サンタコス」ではないように思えるのではないでしょうか?。実際、#サンタコスで検索しても男女差はあまりにも顕著です。
画像C (Akane Saya in santa from PAKUTASO) | 画像D (Custom Santa Suit from Wikimedia Commons) |
この差は一体どこから生まれるのでしょうか?また、「コスプレ」が元ネタの存在を前提とするものならば、「サンタクロース」には、聖ニコラウスという元ネタが存在します。元ネタの存在の有無で「コスプレ」と「仮装」を区別するならば、むしろ画像Dの方が、聖ニコラウスのコスプレであると言い得るようにも思えます。だとすると、上記「コスプレ」の定義も見直す必要があるかもしれません。
ここでも、メイド表現と同じように、サンタ表現の確立の歴史を紐解く必要がありそうです。
一般に語られる話として「サンタクロースの起源はコカ・コーラである」というものがあります。実際、コカ・コーラ社自身もそれを肯定するかのようなウェブサイトを公開しています。
しかしながら、実際には、このコカ・コーラ社1931年の広告よりも100年以上前に、すでに現代的サンタクロースイメージが確立していました。例えば、下記引用の挿絵の他、1823年発表の詩”A Visit from St. Nicholas“(by Clement Clarke Moore)も大きな寄与があったそうです。
コカ・コーラ社のクリスマス広告は、確かにサンタクロースの大衆化や商業化に大きく影響したかもしれないですが、創作という観点からはすでに二次創作だったのでしょう。
ところで、画像Eと画像Dを見比べ、画像Dの衣装が画像Eのパクリ(翻案)になっているかを検討するとどうなるでしょうか?(著作権期間は不問。)
著作権法の世界では、新たな創作性の追加により、「埋没」や「色あせ」といった現象が起こり、元の著作物の表現上の本質的な特徴を感得できなくなることがあると考えられています。
この考え方に従えば、画像Dのような男性版のサンタクロースの扮装は、1820年代に創作的に表現されたサンタ表現を何らかの形で利用しているのだろうけど、その後の2次創作の連鎖の中で、それを感得できなくなってしまっているのかもしれません。結果、形式的には、画像Dの場合も「コスプレ」の定義に該当するのだけど、世間一般には「コスプレ」であるとは思われてはいないのでしょう。
一方、画像Cのような女性版のサンタクロースの扮装は、上記のような事情はありません。むしろ、事案としては「メイドコス」の場合に近似しているように思います。つまり、女性版のサンタクロースの扮装は、近時の作品中で創作的に表現かつ服飾化されたサンタクロースの扮装なのでしょう。
このように考えると、定義の上では「コスプレ」と呼んでもおかしくない男性版サンタクロースの扮装がコスプレとは認識されず、女性版サンタクロースばかりが「コスプレ」と認識されていることも頷けるように思います。
4.まとめ
ここまで、仮装とコスプレの違いと法律問題のテーマで検討を重ねてきましたが、世間一般の人が「コスプレ」と考えているものと「仮装」と考えているものとの違いは、法律的な区別に割と整合しているように思いました。もっとも、法律はそうあるべきなのだから、実際にそうなっているのだという見方もできるでしょう。
シンプルな事例から始めてサンタの事例まで書き進めてきたのですが、クリスマス前にサンタクロースに関するコラムを書けてまずは安堵としています。
Happy Holidays!